JR7HANのプロフィール


【名前】 花野峰行(はなのみねゆき)

【歴史】
1955年4月 富山県高岡市に生まれる(未年、牡羊座、O型)

1960年代の小学校時代  「子供の科学」を購読するようになり、紙飛行機やラジオ作りに夢中になる。その後、私は「初歩のラジオ」、友人は「模型とラジオ」を購読し、回し読みする。NHKの「四つの眼」を欠かさず見ていました。近所にアマチュア無線局が2局あり、7メガのツェップと木柱に上がったキュビカルクワッドを毎日のように眺めていました。この頃から、いつかは自分もアマチュア無線をやりたいと思っていたようです。

1968年8月    講習会で電話級アマチュア無線技士免許取得。母にお弁当を作ってもらい、富山工業高校の会場まで毎日バスで通いました。終日の講義が2週間連続だったと思います(1週間だったかな?)。講師の方々は工業高校の先生方でしたので、今思えば大変プロフェッショナルな教え方で、全く何も知らない者にとっては大変勉強になりました。この後、中学校のクラブ局JA9YDRに参加。

1969年3月24日 JA9DTO開局。主に50メガで運用。下手な英語でDX(海外のアマチュア無線局)とも交信できました

1972年      高校で、友人達とクラブ局JA9YJCを開局

1974年4月    大学進学に伴いJA7YAA入部。4年間無線三昧。この当時、JA7YAAは50W免許で、本当に50Wのリグしかありませんでした。昔々の話です。入部して、生まれて初めてタワーに登りました。最初はとても怖かったのですが、2度目からは何とも感じなくなりました。

1974年10月   第2級アマチュア無線技士免許取得。CWでコンテストがやれるようになりました。在学中は、100W以上は出したことはありませんでした。本当です。だって、JA7YAAが500W免許になった後も、リニアは1台だけしかありませんでしたから(実際の出力は300Wちょっとがいいところで、危うく「300W免許」になるところだったらしい。1975年秋頃の話だったと思います)。私より腕のいいオペレータは沢山いたので、コンテストでは、私は暇なバンドをのんびりやっていました。

1978年4月    浪人も留年もせず無事大学を卒業して就職。新入社員研修の後、6月に岩手県盛岡市へ赴任。以来、地熱関係の仕事に従事。

1979年      一番お金のかからない常置場所の移動でJR7HANとなりましたが、会社の寮にアンテナを上げさせてもらえず、屋根に放り投げたロングワイヤーアンテナで、7メガCWで十数局と交信しただけでQRT。以後、17年間、一度も電波を出さず、QRTが続きました。

1983年4月    結婚したので、寮から、社宅(会社で借りてもらったアパート)に移る。家内は、私が無線を再開するまで、私が無線をやることを全く知りませんでした。

1989年11月   盛岡市郊外の滝沢村(2014年1月1日滝沢市に単独昇格)に自宅を建てたが、アンテナを上げる工夫は全くせず。このときタワーの基礎だけでも作っておけばよかったとか、同軸の引き込みパイプをつけておけばよかったとか、2階の自室までがっちりしたアースを引いておけばよかったとか、後になって思いましたが、後悔先に立たずとはよく言ったものですね。

1996年10月   ふと立ち寄った本屋で、偶然見つけたCQ誌600号記念号の記事(十数局の方々のそれぞれの無線歴)に刺激を受け、自分にも無線に情熱を燃やした時代があったことを思い出しました。そして、自宅の屋根にアンテナを上げ、復活しました。黒点活動周期のボトムでしたが、7や10メガのCWで結構DXが出来、しばらくは夢中になってしまいました。DXを朝、夕に結構追っかけてしまいましたので、いっぺんで家内は無線嫌いになりました。DXのよく聞こえる時間帯は、朝、夕の食事時にぶつかることが多く、これで家内に嫌われてしまいました。いわく、無線機から聞こえる珍局の信号は「悪魔のささやき」で、海外から戻るダイレクト請求の返信は「不幸の手紙」だと。

1997年4月    和文の試験がなくなったおかげで、第1級アマチュア無線技士免許取得。リニアアンプを使う気がないので、2アマで十分といえばそうなのですが、ミーハーなものですから用もないのに取ってしまいました。

1999年1月    盛岡で行われたFCC試験によりKK7RNとなりました。その後、1999年3月にExtraに合格しましたがコールサインは変えず。コールサインも「資源」の一つですから、頻繁に変えるのもどうかと思っています。KK7RNはCWで打つと結構軽快なので(特に前半部分)、気に入っているのは確か。
 なお、蛇足ながら付け足しますと、最初の試験でアドバンスト級までしかとれなかったのは、決してエクストラの試験に落ちたからではなく、その当日、あいにく家内が留守だったため、私が子供達の晩ご飯を作ってやる必要があり、夕方5時には会場を離れなければならなかったためです。ですので、今までのところ、アマチュア無線関係の資格試験には、幸い一度も落ちたことがありません。一応、一生懸命勉強しましたから(???)

2000年5〜6月  8J7WGCを運用。西暦2000年世界地熱会議(WGC2000)が盛岡でも開催されましたので、その記念局を盛岡クラブが運営し、その運用を分担しました。WARCバンドの大半は私の運用ですが、沢山呼ばれておもしろかったですね。

2000年7月    東京に転勤となり、習志野市に単身赴任となる。無線(特にDX)とはだいぶ縁遠くなりましたが、ハムフェアに行ったり、QRP関係のミーティングに出席したり出来るようになりました。

2002年6月    8J1VLPを初めて運用。茨城県霞ヶ浦町にあるエレクトロデザイン社のアンテナ実験場からの運用を分担しました。すべて5W以下のQRP運用です。ここは、force12のビームANT群が4基のタワーに載っており、5WでもDXからおもしろいように呼ばれました。10メガでは、パイルの中、TL8DV(中央アフリカ)との交信にも成功しました。ただし、オセアニアとの交信をしなかったので(やろうと思えば当然出来たのですが)、one day WACをし損ねた、という落ちが付きましたが。2003年5月にもここから8J1VLP/1を運用しました。

2002年10〜11月  カリブ海のFG、V4、J6から、FG/JR7HAN/P、V4/JR7HAN、J68RNを運用。合計2,968局と交信。

2003年3月    習志野市から、同じ千葉県の市川市香取に転居。最寄りの駅は、東西線の行徳。会社は茅場町ですから、乗り換え無しで、帰宅時はドアツードア30分ほどで帰れました。自炊になりましたので、その分大忙しですが、野菜を沢山使った自炊(朝夕2食)をエンジョイしていました。

2003年10月   盛岡へ転勤となり、単身赴任は解消されました。さっそく、QRPエコデイの自然エネルギー利用の屋外QRP運用を楽しみました。

2005年1月   中国から初めて運用(BY1BJ/JR7HAN)

2005年4〜5月  トルコから運用(TA2/JR7HAN)

2005年4〜6月  8J7VLPを運用。JARL QRPクラブの依頼を受けて、盛岡クラブが受け入れ先となって、「国際QRPデー」記念局を開設しました(同時に、8J1VLP、8J3VLP、8J4VLPも各地で開設)。私は7VLP局の運用調整担当をいたしました。

2006年4月   東京へ転勤になり、再び市川市に単身赴任・・・・・


【現在】
●岩手郡滝沢村(JCG 03002E、GL QM09NR)にてJR7HAN(50W移動局、100W固定局)を開設。主にQRPまたは100WのCWで運用。SSBは時々100Wで運用。DXと国内両方好きですが、国内交信はCWのみ。どちらかと言えばラグチュー派。でも、残念ながら和文は出来ません・・・
●千葉県市川市(JCC1203)では、KX1やFT-817とRFMD、RFMD-S、10m長GPを持って自転車を主とした移動運用をしています。お気に入りは江戸川河原(旧江戸川と江戸川の分岐点付近)や野鳥観察園(宮内庁鴨場裏)などです。いずれ、電車を使ったハイキング移動運用も考えています(2006年5月5日)。
●現在のお気に入りは、国内交信だと7メガCWの2way QRP交信と移動運用(主に自転車)。DXだとオープンしているバンドならどこでもOKで、SSBでのラグチューやCWの英語平文ラグチュー。ただし、英語平文のCWラグチューは、1局交信したらどっと疲れてしまってもう沢山、という感じになりますが。
●お気に入りのアクティビティ:QRPによるDX(DXCC148/133(2001年末現在)、WPX400獲得(2000年)、ADXA獲得(1999年)など。ただし、WAZは未完成(後3つ))、QRP関係機器の自作(主にキット製作)、DX局とのラグチュー(CWとSSB)
●コンテスト:大好きです。個人で参加するときは、ほとんどCW部門です。でも、3局以上から呼ばれるとほとんどコピーできません。フィールドデーコンテストは、1999年以来ほとんど毎年、JA7YCE/7(盛岡クラブ)で参加しています。
JARL QRPクラブ会員(#662)、JARL盛岡クラブ会員、JARTS会員、文部科学省登録サイエンスボランティア


【過去】
●習志野市(JCC1216)では、会社の寮(3階建ての2階)のベランダに時々アンテナを仮設してQRPで運用していました(2003年3月まで)。市川市(JCC1203)では、ワンルーム(3階建ての3階)のベランダにANTを仮設し、2003年の6m & Downコンテストで初QRVしました。**2003年10月の単身赴任解消により、ここでの運用はなくなりました**


【JR7HANの秘密】
   サフィックスが名字の一部(HANano)になっていますが、よく理由を聞かれます(コネを使って無理矢理頂いたという事実はありません。そもそも電波監理局にコネがありませんからHi)。本当に、単なる偶然でそうなったのですが、その理由を推測してみると以下のようになります。あくまで推測ですよ。
●誰か知らないが、JR7HAMをほしい人がいた。この人は、JARL経由の保証認定を経た申請ではなく、東北電監への直接申請をしていた。この人は東北電監にコネがあり、そこで一旦通常の処理(JARL経由の申請)が止まるように取り計らわれていた。
●一方、私はJA9DTOの常置場所変更(高岡市から岩手県滝沢村への変更)を北陸電監に届け出ており、その書類が、北陸電監から東北電監に届いていた。これも、通常処理の切れ目に処理する必要があり、順番待ちとなっていた。
●JR7HAMの順番となり、一旦JARL経由の処理を中断して、JR7HAMの処理が行われた。そこで、順番待ちになっていた私の書類がついでに処理された。このため、私の新しいコールサインは、HAMの一つ後のJR7HANになった。
   という推理です。いかがでしょう??? 真相は今となっては分かりませんが。


【無線以外に好きなこと・もの(趣味?)】
●冬はスキー、夏はハイキング(昔は山歩きでしたが、老化現象で膝が痛いのでもう行けません。残念・・・)。スキーは、今ではもっぱら、フラットな緩斜面でゆっくりロングターンです。きれいにパラレルを連続できたときは、これでも気分爽快です。後ろから追突しないでくださいね。ただし、最近は、本人はパラレルをしているつもりが、「上手なシュテム」になっているらしいところが悲しいです・・・
●おいしい紅茶(を入れたいと思っているのですが、非常に難しい・・・)
●読書:プロジェクトXを毎巻買っていました(もう過去形か・・・)。後は、地球科学関係の教養書とか。先年、子供の宿題につきあって夏目漱石の「こころ」を読み直しましたが、改めて名作であることを再認識しました。年月を経て読み直すと、高校生の時には感じることのなかった感慨が心に浮かびました。
●旅先での美術館巡り。最近では、2001年夏に倉敷に行く機会があり、大原美術館へ行きましたが、感動しました。今までで一番感動したのは、なんと言っても、1988年と1995年の二度も見ることの出来たミケランジェロのピエタ像です。なお、上野の国立西洋美術館が第2、第4土曜日は常設展がタダなので、時々行っています。松方コレクションのモネの船遊びや睡蓮がタダで見られたのはありがたかったですね。
●景色のいい場所(落ち着ける場所)でボケーッとして過ごすこと。超低血圧人間なので、エネルギッシュでアクティブな生活には向いていないようです。スポーツ観戦もいいですね(サッカーとか剣道とか)。
●プールで浮かんでいること。「水泳」と書けないのがつらいところです。我が家でバタフライが出来ないのは私だけです。
●突然ダイビングをしたくなり、行徳図書館前のPacificaさんのお世話になり、2007年1月にスクーバダイビングのCカードを取得しました。(2007年2月4日加筆)
●子供の剣道の応援。私に似なかったので結構強いんです。インターハイにも出場してくれました。楽しませてもらっています。
●温泉、地熱地帯巡り(仕事とは別と考えているのですが・・・)。今まで一番感動したのは、アイスランドでは最大の間欠泉であるゲイシール。Geyser(英語の間欠泉)の語源になった場所です。


【苦手なこと・もの】
●人混み。例えば、夕方の新宿とか池袋駅前とか・・・。
●たばこの煙
●辛いもの、脂っこいもの。例えば、本格的な四川料理はご勘弁いただきたい。仕事でチベットへよく行きますが、ここは四川料理(のさらに辛いの)が多く、毎回閉口します。
●ホヤ。学生時代に、どうも安物を食べさせられたようで、いっぺんでダメになりました。
●数学。これがバリバリ出来れば、今頃は大学者になっていたのでしょうが・・・
●高地。ここ数年チベットで仕事をしていますが、毎回、高山病に苦しめられます(標高3600mとか以上の話です)。なお、高山病は中国では「高山反応」と呼ばれています。これは、身体が「病気」になるわけではなく、ただ単に空気が薄いことによる身体の「反応」だからだそうです。何となくこっちの方が理にかなった呼び方のような気がしますね。
 尚、余談ですが、やせ形、低血圧、お酒が弱いひとは高山反応がひどくて苦しむことが多いようです。要するに私ですね。
●旅先でのおみやげ探し。いつも家族からは、「センスが悪い」、「趣味が悪い」、「またよけいな物を・・・」と言われて困ってます。おみやげ探しは、ホント、恐怖です。形の残るものは後々まで言われますから、形の残らないもの(食べ物とか)を買うことにしています。
●最後は、若い女性。当方には、共通の話題になるようなネタがありませんから。


おまけ

海外出張所持品チェックリスト

海外出張の時、忘れ物をしないようにと作ったチェックリストです。旅行や出張の際にお役に立てば幸いです。なんだこりゃ、という物も入っていますが、笑ってやってください。最初に作ったのが20年以上前なので、今ではもう使わないような古い物も入っていますが。元が(というか私用のは今でも)一太郎ファイルなので、Word用に変換するとちょっと形崩れしていますが、気にしないで下さいね。では。


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