過去に読んだ本・まんがで役立ったり、印象に残っているもの

ここでは、「アマチュア無線関係」、「読み物などの一般的な書籍」、「マンガ」で、印象に残っているものを列記します。加筆は上から順ではなく、結構適当に挿入していますから、新しいのがあるかないかは、その都度探してみて下さい。

【アマチュア無線関係】  【読み物】(2006年1月25日加筆)  【まんが】


【アマチュア無線関係】

「実践HF入門マニュアル」:JA6GW 今村桂一郎著、CQ出版社
 →1996年にアマチュア無線に復帰するときに買いましたが、大変参考になりました。特に、若い頃には全く知らなかったコモンモードによる電波障害などがよく理解でき、目から鱗が落ちました。これ以外にも電離層伝播やANT整合など実践に役立つ知識やノウハウが、非常にわかりやすく書かれています。残念ながら、絶版になってしまいましたが、これからHFをやってみようという方には、是非お勧めします。大きなハムショップにはまだ置いてあるようですよ。実は、知人に貸したところ、転貸されるうちに行方不明になってしまい、絶版になった直後に買い直した、といういわく付きの本です。

「上級ハムになる本(改訂版)」:JA5AF 大塚政量著、CQ出版社
 →1アマ受験の時に読み直しましたが、実践的な知識も多く得られるように工夫してある本であることを再発見しました。17年もの間無線から遠ざかっていたので、回路やデバイスの知識もすっかり消えかかっていましたので、いいリフレッシュになりました。この本で1アマをとった約2年後に、FCCの試験を受けるため下記のARRLライセンスマニュアルを読みましたが、知識のかけらがまだ頭に残っていたおかげでスムーズに読めました。これももう絶版ですが、大きなハムショップにはまだあるようです。

「ARRLライセンスマニュアル(各級用)」:ARRL刊
 →FCC試験受験の時に使いましたが、太陽活動と電波伝播のことやANT整合とインピーダンスのこととか、実践的な知識がわかりやすく解説されているのには驚きました。地球のある地点から見た太陽の見かけ自転周期は約28日であるので、電波伝播に影響のある黒点群は約28日周期で再来するので、コンディションの上下もこれと相関する、というくだりは、正直目から鱗が落ちました。受験が終わった今も捨てずにとってあります。なお、このライセンスマニュアルは、ARRLのWebから通販で購入できます。FCC試験の受験は、Question Pool(問題集)をやるだけでもいいのですが、解説もほしい、という場合にはお勧めします。なお、FCC試験は日本(東京、名古屋、岡山など)ででも受ける事が出来ます(ARRL東京VEチーム)。

●「アマチュアのDX通信入門」:CQ ham radio編集部編、CQ出版社(1976年初版)
 →DX通信の入門書は沢山ありますが、今まで出会った中ではこれが一番よかったと思います。特によかったのは、JA1UQP 山田さんの書かれた「DXと整理」という章。DXを楽しむ上での「整理」の重要性が、概念だけではなく、具体的なノウハウとともに詳述されており、無線を再開する際にも大変役立ちました。現代はPCロギングの時代ですから、整理はPC(ソフト)任せ、という方が多いと思います。しかしながら、きちんとした紙の上での整理は(表などの形式)、重要なDX交信の有無や年月日、そのQSL回収の状況、ダイレクト請求の発送と回収状況、その回収までの所要日数と有効だった方法等がよくわかるようになりますし、コンディションの推移をつかむ上での有用な情報も得られます。最初からPCによる整理に頼っている方は、一度トライされてはと思います。目から鱗が落ちることと思います。また、この本では、JH1JGX 田中さんの書かれたコンディションの章も、季節やバンドごとのねらい方を知る上で大変役立ちました。とっくの昔に絶版の本ですが、捨てられません。


【読み物など】

 どうしてそうなったのかは自分でもわからないのですが、子供の頃から本を読むのが大好きです。小学校の頃は、毎日のように図書館で本を借り、ほとんど一晩で読んでしまっていました。現在は、通勤時間等を利用して毎日読んでいます(実籾にいた時は片道1時間20分、行徳に移ってからは約40分、盛岡勤務に戻った後は、最初はバス通勤で約30分、その後徒歩・自転車通気になったので通勤途中の読書は出来なくなりましたので、主にお昼休みや就寝前)。ここでは、印象に残っている本を順不同で列挙します。なお、選び方は偏っていると思いますし、コメントもあくまで私見です。あまり気にしないでください。

●「悪(ワル)の交渉術」:向谷匡史著、幻冬舎(ISBN:4-344-01095-7 C0095)
 →著者は空手道場を主催する武道家であり、本書の内容は、ウラ社会から接客業界、芸能・スポーツ界、政財界、宗教界、格闘界等々広範囲の交流から経験を通して得た、交渉術の「実戦ノウハウ」であるとのことです。確かに、なるほどと思う例が多く述べられています。が、実際に使えるかとなると、ちょっと疑問です。一回こっきりのつきあいだけの関係ならいざ知らず、長いつきあいが続く中では、これらのやり方を使ってしまうと、一度だけならその場はなんとかかわせても、何度も同じ手を使ってしまうと、人間的な底の浅さというか浅はかさを見透かされてしまって、その後信頼を失ってしまうのでは、と躊躇するテクニックが多いような気がしました。
 だからといって、全てが役に立たないわけではありません。例えば、第二章に書かれている「断られたときはその理由をはっきり聞き出し、それを論破すれば、相手は断る理由がなくなる」とか、第三章の「思いのままに相手を相手を操る19の術」などは十分参考になりました。実は、その中で一番納得したものは、本書の最初にある「はじめに」の先頭に書かれていた「人間は説得されない。相手が首を縦に振るのは「説得」されたからではなく、「納得」したからなのだ」という一節でした。確かにそうですね。(2006年1月25日)

●「世にも美しい数学入門」:藤原正彦・小川洋子著、ちくまプリマー新書011、筑摩書房(ISBN: 4-480-68711-4)
 →数学を学ぶための書物ではありません。数学の話がちりばめられた読み物です。ずっーっと下の方に「天才の栄光と孤独」を挙げていますが、その著者である藤原先生と、「博士の愛した数式」の著者である小川さんの対談が本になったものです。気軽に読める中身で、数学に関する教養(雑学?)をちょっとかじってみたい方にはお勧めですが、実は、「博士の愛した数式」の中に出てくる素数や整数、完全数、友愛数、三角数などの解説がそのまま書かれているので、「博士の愛した数式」ファンには欠かせない参考書です。「博士の愛した数式」を既にお読みになった方、これから読む予定の方は、これも合わせてお読みになっては如何でしょうか?? もうすぐ映画も封切りですね。深津絵里ファンの私としては、見逃さないように、と固く決心しております。
 話はそれますが、これを読んで思ったのは、小川さんは頭のいい方なのだなと。私が数学が苦手だからコンプレックスがあるからなのかも知れませんが、素数などかなり突っ込んだ内容をうまく使ってあれだけの対談が出来るのはすごいと感心しました。私ではとても無理だな、と思った次第です。(2006年1月10日)

●「シャドウダイバー」:ロバート・カーソン著、上野元美訳、早川書房(ISBN: 4152086483)
 →ニュージャージー沖の大西洋に沈んだUボートを発見し、その同定に尽くしたダイバーが主人公のノンフィクションです。事実の持つリアリティとその予想外の展開は、下手な小説を遙かに超えています。500頁を超える大著ですからとても一気に読み通せるものではありません。途中でやめて寝るのが残念でたまらないことが何度もありました。

ニュージャージー沖水深70mの深さで発見された沈没船は、第2次大戦中のUボートだったのですが、米軍にもドイツ軍にも、その海域での沈没記録、交戦記録が一切ありません。艦名が明らかになれば、正体はわかるはずなのですが、これを示す遺物がなかなか出てきません・・・ 調査を行うダイバーも次々と事故により命を奪われていく・・・ そもそも水深70mへ潜って調査の出来るダイバーはきわめて少ないのです。功名心だけでは取り組むことのできない危険きわまりない沈没船だったのです。

そんな中で、戦史をめくる中で可能性として浮かび上がった候補(Uボート)は次々と可能性が否定されていきます。ところが、戦史編纂上の思わぬ落とし穴が見つかり、その中から全く思いも寄らぬ可能性が出てきます。ここで無線通信が出てくるのですが、当初、ニュージャージー沖へ行けと命ぜられていたあるUボートが、次に、ジブラルタル沖への目的地変更を命ぜられていました。その後、このUボートは行方不明になったため、独米の公式記録ではジブラルタル付近のアフリカ沖で沈没したことになっていました。ところが、このUボートは、ジブラルタルへの進路変更の無電を受信していなかった可能性が出てきたのです。無線機器の故障あるいは「大気の状態」が不安定だったため・・・

沈没時は27歳だった艦長や、22歳だった先任士官、十代の若者が1/3を占める乗組員、彼らが、一度出撃すれば二度と帰ることが出来ないであろう任務に出ていった状況なども、ダイバー達の物語と同時並行的に語られていきます。平和な世の中であることの幸せを再確認することが出来ました。

→余談ですが、通信不良の原因の一つとして、「大気の状態」と何度も出てくるのですが、原文がどうなっているのか気になりました。翻訳者が電波伝播用語に明るくなかった場合、propagationあたりを意訳しようとして「大気の状態」という表現を使ったのかな、とも思った次第です。このUボートはアイスランドとグリーンランドの間のデンマーク海峡を通って北米方向へ出ていきましたから、オーロラ発生帯の中心近くを通っていますね。デンマーク海峡を抜けてすぐに目的地変更の電報が発信されたようですが、時期はちょうど真冬ですから、オーロラが出ていた場合は全く受信できていなかったおそれがあります(アイスランドのアマチュア無線家から聞いた話では、オーロラが出ると短波帯の通信は全く出来なくなるそうです)。これが予想もつかない地点での沈没に繋がったとしたら興味深いところですね。時期はちょうど太陽活動サイクルで言うサイクル17と18の間のボトムの時でした。

ということで、真冬の低周波短波帯通信の電波伝播も合わせて考えながら読める一冊です。(2005年10月29日)

●「祇園の教訓」:岩崎峰子、幻冬舎 (ISBN 4-344-00358-6 C0095)
 →サブタイトルは「昇る人、昇りきらずに終わる人」です。新聞の広告を見て本屋に走りました。著者は、15歳で舞妓としてデビューして21歳で芸妓となり、29歳で引退するまで15年間休むことなくお座敷に出ていましたが、その間、ずっと売り上げナンバーワンだった方です。その体験に基づき、成功する人そうでない人の違いをまず分析してあります。なるほど、と思ったのは以下のくだりです。

「昇っていく人の共通点、それは一生懸命なこと、好奇心があること、何にでも興味を持っていること、生活に美意識を持っていることです。静かに座っていても、それぞれの方が独特の存在感を感じさせましたし、人間として非常に魅力的なことでした。仕事の他に趣味をお持ちの方は、若くてもお話に深みがあって、私たちも勉強になりました。でも、基本的に、「何にでも一生懸命やなぁ」ということが伝わる方は「うちらで応援しょ」と思わせる何かがあるのです。」

確かにそうなのでしょうね。はて、自分はどうなのだろうか、と思ってしまった次第です。
 この方は、長年売り上げナンバーワンを続けた方です。芸妓を天職と思ってエンジョイされたのかと思うとそうではないと言うことです。あくまで謙虚な努力家の方のようです。以下のくだりには著者のその様子がよく現れていると思いました。

「私は内向的な性格で人前に出るのが嫌いだったのです。今思えば、自分の性格とは逆な仕事をしてきてよかったと感じています。私は元来怠け者なので、自分の好きなことをしていると何時間でも何年間でもずるずるとそれに集中してしまい、何にもなれず「周囲のことなどどうでもよい」と思うようになっていたでしょう。また、自分のことだけを考えるような人間になっていたと思います。自分の好きなことをして生きる。それも人生かも知れませんが、私には、そうすることが自分の人生にとってよい結果が出るとは思えませんでした。何でも自分で決めて生きてきたように思いますが、本当は、どこかで決められていた人生なのかも知れないと今になって思うことがあります。」

 この方は、抜きん出た才能をお持ちだったのは確かなのでしょう。しかし、それにあぐらをかかずに、謙虚に努力された結果が売り上げナンバーワンだったのでしょう。ナンバーワンになるには、才能だけではダメ、と言うことがよく分かりました。「人間至る所青山あり」という諺を思い出した次第です。まぁ、私のとっては雲の上の世界のことなのですが。(2003年10月26日)

●「だから中国は救われない」:星野ひろみ、KKベストセラーズ
 →著者の星野ひろみさんはJA6KJYのコールサインを持つハムで、2003年8月の中国出張の時にお邪魔した、北京日本人アマチュア無線同好会の会合でお会いしたことがあります。その時、知人が、星野さんの本に署名をもらっていたのをきっかけに、この本を知りました。帰国後さっそく買って読みましたが、まさしく「膝を打つ」逸話の連続でした。
 星野さんは、中国滞在歴十数年の方で、地元の主婦として生活される傍ら、翻訳・通訳業もなさっておられます。その星野さんが、ご自分の体験を通して観察した中国の実体を隠すことなく書いておられる本です。私も、チベットでの仕事を通して、中国人のダメなところ、すごいところ(必ずしもよい意味ではありません)をいろいろ知ったわけですが、この本にはそのあたりが余すことなく書かれています。また、それへの対処方法も紹介されていますから、私などはとても参考になりました。
 確かに中国は、今後、経済発展が進むでしょうし、日本経済にとっては大きな市場にも、大きな脅威にもなるでしょう。いずれ日本は中国にあらゆる面で追い越されてしまう、という説も多くあります。確かにそうかも知れません。しかし、この本のタイトルからもわかるように、中国は、優秀な人間も多くいる反面、そうではない人たちも数多くいる国です。国の隅々まで日本の脅威となるような人材ばかりというわけではありませんし、文化的限界を感じさせる部分も少なくないところです。私も、自分の体験を通して、当分の間中国には追い越されないだろうと、やや楽観的に思っている一人です。敵に塩を送ることになりかねませんので、その理由はここでは書きませんが。
 中国で仕事をする、あるいは、暮らしたみたい(例えば留学とか)という方は、ぜひ一度読んでおいた方がいい一冊と言えましょう。(2003年10月26日)

●「東郷隆時代奇譚小説集」:東郷隆、白泉社 (ISBN4-592-75009-8)
 →最近疲れているのか、小説といえば短編しか読まなくなりました。しかも、奇譚、怪奇ものばかり・・・ 短時間で読み切れる上、シャープな切り口の話が多いから、それだけ刺激が強いのかも知れません。東郷隆は、まだ直木賞とかはとっていないのですが、候補作には沢山上がっています。この本は、そんな短編が沢山収められています。中に納められている作品では、「人造記」が玄人の評論家筋には評判がいいようですが、私はむしろ「放屁権介」が気に入りました。気楽に読めるのですが、一瞬はまってしまう作品が目白押しです。旅のお供にいかがですか??(2003年7月16日)

●「遠藤周作怪奇小説集」:遠藤周作、講談社
 →妹が学生の時(?)に読んだものを譲り受け、後年読んだものです。これも短編ばかりですので、区切りよく読めますし、内容も十分堪能できます。かなり怖くてぞっとする話が、小気味よい展開で語られています。このあたりは著者の力量のなせる技でしょう。話が結構古いものがあるのですが、私も昭和30年代の風俗は記憶にありますから、違和感なく読むことが出来ました。ほとんどの作品が十分満足できる出来です。落ちに工夫があるものが多く、特に、「初年兵」の落ちは、結構笑えました。溜飲が下がる思い、と言ってもよいかも知れません。なお、私が持っている本は、現在では絶版になっていますが、結構人気があるようで、再編集されたものが講談社文庫から出ています。なお、私が読んだものは、現在では、出版芸術社から出ている「蜘蛛」が、構成的に一番近いかも知れません。(2003年7月16日)

●「旧約聖書を知っていますか」、「ギリシア神話を知っていますか」:阿刀田高、新潮社
 →比較的最近読んだ読み物の中では出色のものです。両方とも非常に面白いのですが、先に「ギリシア神話・・・」を読んだ方がいいですよ。「旧約聖書・・・」の方がより面白いので、こちらを先に読んでしまうと、「ギリシア神話・・・」の出だしはちょっとつまらなく感じるかもしれませんから。これは、先に「ギリシア・・」が書かれたのですが、書き始めた頃はまだ硬い感じの書き方で、話が進むうちに著者も乗ってきて快調になったためです。話はかなり忠実に原話に基づいていますから、楽しみながら知識を得ることが出来ます。何人かの知人にも貸しましたが、好評でした。ちょっとした旅行のお供にはお勧めです。なお、現在は両方とも新潮文庫になっています。

●「柴錬三国志」:柴田錬三郎、講談社文庫(上、中、下)
 →三国志は吉川英治のものが有名です。私も読みました。確かに面白いのですが、ストーリーの面白さという点では、こちらの柴練三国志の方が一枚上のように思います。吉川英治の三国志では、劉備、関羽、張飛の三人が出会う、桃園の義兄弟の誓いから話が始まりますが、柴練三国志は劉備が死んだところから始まります。その分話は短いのですが、それでも、文庫で3冊ありました。主役は諸葛孔明と言えます。最後は跡を継いだ姜維伯約の奮戦と蜀の滅亡で終わります。入社直後くらいの頃(二十数年前です)に読んだのですが、話の展開が速くて非常に面白く、徹夜をして読み狂った覚えがあります。睡眠不足の元ですから、長距離ドライブの予定のある方は前日には読まないようにしましょうね。

●「吉里吉里人」:井上ひさし、新潮社(0093-302312-3162)
 →これも読み始めたら止まらなくなり、結局徹夜を重ねて読んでしまった大作です(2段組で800ページを超える!!)。吉里吉里は岩手県沿岸部に実在する地名ですが、この小説では、どうも内陸の東北線沿線である平泉あたりを吉里吉里国としていますね。その「国」が突如として独立し、滅亡するまでの顛末(この間わずか二日間)を書いたものです。方言をうまく使ったり、黄金伝説を絡めたり、話は多岐にわたり飽きさせません。私は、ちょうどこの小説が雑誌に連載されている頃に就職して岩手県に行ったわけですが、この本が職場で話題になったのには訳があります。独立した吉里吉里国には、国立の地熱発電所があり、電力は自給できる、とのくだりがあったのです。平泉周辺には火山もなく、天然蒸気を使った地熱発電所が出来る可能性はほとんどないのですが、その描写は松川地熱発電所にそっくりです。その話の中で、地熱発電所の主任技師が籠絡されて吉里吉里側についたので、吉里吉里国は日本国から電気の供給を止められても大丈夫、というくだりがありました。そこで話題になったのは、この籠絡された主任技師とはいったい誰のことだろう、ということでした。まぁ、お話ですからこれは架空の人物なのですが。吉里吉里国の重要財産である金の隠し場所も大笑いできます。いずれにせよ、超一流のストーリーテラーのお手並みを十分エンジョイできる一冊です。現在は、新潮文庫になっています。

●「敦煌」:井上 靖、新潮文庫
 →井上 靖の小説は、話がしっかりしていて外れがないので結構好きで、何冊か読みました。この小説はご存じのように、趙、朱、尉遅の三人(当然架空の人物でしょう)を軸に、敦煌という都市国家の滅亡を描いたものですが、非常にスケールの大きな話です。20年以上も前に読んだのですが捨てずにとってあります。これだけの時間的、空間的スケールを持ち、多種多彩の人物を登場させて、飽きのこないストーリーを考える作家の頭の中はどうなっているのだろうと思ったことがありました。それに加えて、読み手の頭の中に流れるように入っていく文章を書く文章力。後年、報告書や論文を書くようになって文章力のなさを痛感するに至り、凡人ではマネの出来ない世界であることを思い知りました。

●「黒い画集」:松本清張、新潮文庫
 →ミステリー小説も好きですが、読み応えという点ではやはり松本清張です。長編の、複雑に絡み合った社会的背景の描写は何とも言えません。よくあそこまで考えて書いてあるものだと感心したものです。私には、血なまぐさい過激な描写が続く小説は、あまりしっくりきません。社会に日常的に潜むひずみやゆがみが引き起こす犯罪の方が、よほど現実的に思えて、引き込まれてしまいます。私のすぐそばにあってもおかしくない、と思えるような題材が扱われているからだと思います。これは短編集ですが、なかなか印象深い作品ばかりです。松本清張の作品は、時代的にやや古いのですが、私自身、昭和30年代の記憶がありますので、話に十分付いていけます。どの作品も読み応えがあり、いつどれを読み返しても、時間の経つのを忘れてしまいます。長期の海外出張には必ず何か一冊持っていくものです。

●「不連続殺人事件」:坂口安吾、新潮文庫
 →推理小説ファンである坂口安吾が既存の推理小説に飽きたらず、自分自身が最も面白いと思えるものを書こうとして一念発起して書いた、というものだけあって非常に面白い作品です。

「加田伶太郎全集」:福永武彦、新潮文庫(絶版)>>現在は扶桑社から出ています
 →福永武彦が別名で書いた推理小説集です。福永武彦の文体を感じさせる部分もありますが、内容は本格的なミステリーで、男女の微妙な心理の動きを描写する福永武彦の小説からはちょっと想像できません。そこがミソなのでしょう。坂口安吾の不連続殺人事件もそうですが、やはり力のある作家の書いたものはちがう、ということを実感できます。なお、ペンネームの謎解きが解説に書かれていますが、ここでは明かさないことにします

「古事記物語」:福永武彦、岩波少年文庫2063
 →どういう理由でそうなったのか、理由もきっかけも全く思い出せないのですが、かなり以前から古事記を読んでみたいと思うようになりました。今から、30年ほど前のことだと思います。しかし、私の古文読解力では、とても太刀打ちできるものではありませんでした(私は漢字が大の苦手なのです)。その後、岩波少年文庫に、古事記の内容をほぼ忠実に現代語訳した本があることを知り、さっそく読んでみました。1982年頃のことだったと思います。しかし、読んでみて驚きました。小学生高学年以上用、と書かれていますが、大人でも十分読み応えがあります。福永武彦の本は、入社直後頃に、「心の中を流れる川」の単行本を買って読んだことがあります。男女の微妙な心理の動きを扱った小説で、世間一般の評価は、若い女性の読む本で、男の読む本ではないということなのですが、その優しい感じの文体は、私の心の琴線に触れるところがありました。この古事記物語の文体もそうでした。どうしたことか、福永武彦のような文体の小説を書いてみたい、と思ったときがありましたが、私の文才では及びもつかず、結局トライもせずに現在まで来ています。古事記について内容を知りたい場合は、お薦めの一冊です。
 →全くの余談ですが、私の高校時代の同級生の西田泰伸君のホームページに紹介されている愛読書の一つにオリジナルの「古事記」があるのを見て驚きました(一般の人向け/プロフィールのページ)。よく読むものだと感心した(というかあきれた)ものです。西田君は一番仲のよかった友達の一人ですが、背格好や顔つきが非常によく似ている(らしい)ので、遠目に見ると我々二人は双子の兄弟に見えたようです。私の妹も後ろ姿で間違えそうになったことがあるとか言っていました。西田君の現在愛読中の本は、やはりオリジナルの源氏物語だそうですが、無事読み終わったのでしょうか??

●「沈黙の春」:レイチェル・カーソン著、青樹簗一訳、新潮文庫(ISBN4-10-207401-5)
 →農薬による自然破壊と健康被害への警鐘を鳴らした本として有名です。1960年代に公害問題が顕在化してきた時にはバイブルのように読まれた、と聞いています。農薬や化学薬品の名前が多量に出てきて、その説明も、化学の知識が乏しい私には理解が追いつかないのですが、そういった点は読み飛ばしたとしても、いわんとするところは十分伝わってきます。発展途上国などで、工場などからの廃液で濁った川や煙突からの煤煙を見るたびに、何故かこの本のことを思い出します。明確な根拠を示して社会に警鐘を鳴らすのも、科学者の重要な社会的責任なのでしょうが、この著者のような文才がないとそれも大変なのだな、と思った次第です。

●「小説家」:高橋克彦、実業之日本社(仕事−発見シリーズC)(ISBN4-408-41049-7)
 →これは小説の書き方のノウハウが述べられている本です。「写楽殺人事件」で江戸川乱歩賞を受賞(後年、直木賞も受賞)した高橋克彦さんが、写楽殺人事件を書いた時の経験を基に、小説作りのノウハウを述べています。小説を書くにも、ターゲットにあわせた「傾向と対策」があり、それに沿った書き方が必要であると。
 しかし、いくらノウハウがあったところで、ストーリーを考える力、その基礎になる幅広い知識、情報収集力・分析力、それを行う際の忍耐力、そしてそれを現実の小説にしていく文章力・構成力がなければ小説は書けるものではないことは事実です。上で、「小説を書きたいと思った・・・」などと寝ぼけたことを書きましたが、私にはこれのどれもが不足しているのは明らかです。夢と思ってあきらめるしかありませんでした。小説を書こうと思い立った場合には参考になさってください。
 なお、これは全くの偶然だったのですが、高橋克彦さんは、今は盛岡市内へ転居してしまわれましたが、乱歩賞を受賞されたときは、私と同じ滝沢村の、それも直線距離で数百メートルしか離れていないところにお住まいだったのでした。

●「大河の一滴」:五木寛之、幻冬舎(ISBN4-87728-224-6)
 →若い頃は、いずれ死ぬときが来るなどとは考えてみたことは在りませんでした。まして自殺など考えたこともありませんでしたし、むしろ、自殺する人の心理が理解できませんでした。これは、私があらゆる事に順風満帆だったからと言うことでは在りません。中学校以来、能力という事にかかわるあらゆる面で、上には上がいることをいやと言うほど思い知らされていたのは事実です。人には個性がある、自分には自分のいいところがあるはずだと信じて自分なりに努力を続けてきた、という自信があったからだと思います。そんな私でも、心に傷を受け、落ち込むことが、当然あります。この本は、私の人生の中で受けた最大のショックと言える事件の後に出会いました(偶然ですが、母が貸してくれました)。「人はみな大河の一滴」という言葉の意味は、結局分かったようでよく分からなかったのですが、幾分気持ちが落ち着いて、心を切り替えて再出発するきっかけにはなったと思います。宗教に救いを求める気持ちが一瞬分かったような気がしました。
 →余談ですが、後年、この本を原作として映画が作られました。しかし、新聞に紹介されたストーリーを見て驚きました。本文とは全くと言っていいくらい関係ない話だったからであす。結局その映画は見る機会がなかったのですが、どういうことがきっかけでこの本のタイトルを使った映画が作られることになったのか、是非知りたかったものでした。分かったからどうなるというものではないのですが。
 →これはさらに余談ですが、その映画の主人公役は安田成美さんでした。安田成美さんは、実はかなり以前からファンでした。そのきっかけは、安田さんが、私の出身地である高岡市を舞台にしたドラマに主演したことでした。安田さんはまだ高校生か卒業直後くらいで、ロシア語を学ぶ高校生の役でした。その時、かわいいなぁ、と思ったのがファンになったきっかけでした。と、ここまで書いたところで、何かの雑誌の対談で、「映画を何故見に行くのか?」との問いに、「きれいな女優さんを見に来てください」と鈴木清順監督が答えておられたのを思い出しました。きれいな女優さんをスクリーンで見るのは確かにいいものです。それは、その女優さんが一番きれいに見えるように撮ってあるからだと思います。全く脈絡のない話で失礼いたしました。

●「電子立国日本の自叙伝(上、中、下、完)」:相田 洋、NHK出版(ISBN)
 →1980年代の繁栄に至った、日本の半導体産業の誕生と成長を調べたドキュメンタリー番組の書籍化されたものです。プロジェクトXの前身のような番組でした。たくさんのエピソードがありますが、どれも興味深いものばかりです。特に、終戦直後のエピソードが多いためか、資金不足や物不足の苦労が忍ばれてジーンと来るものがありました。エンジニアの端くれとして、先輩達の苦労を振り返ることは自分自身を鼓舞するためにも役立ちました。現在は、NHKライブラリーの文庫になっています(全7巻)。

●「新・電子立国(全7巻+別巻)」:相田 洋・NHK取材班・大墻敦、NHK出版
 →上記の「電子立国日本の自叙伝」のソフトウェア版とでも言うものです。しかし、今回は、日本だけではなく、海外におけるソフトウェア産業の興亡も広く紹介されています。この中で印象深いのは、やはりビル・ゲイツによるマイクロソフト社の設立とそれと並行する形でのソフトウェア産業の発展です。ビル・ゲイツの天才ぶりを示す逸話は沢山ありますが、IBM PCのソフトウェア開発を担当したジャック・サムズ氏の「話し始めて5分もたたないうちに、私はビル・ゲイツが、弁護士としては私の弁護士よりも優秀で、技術者としてはIBMの技術者よりも優秀で、プログラマーとしては私よりも優秀であることが分かりました」という言葉が印象に残りました。ビル・ゲイツが24歳の時の話です(ちなみに、彼は私と同い年)。
 しかし、彼が才能を開花させるに当たっては、彼の才能に加えて、周りの環境やツキ、そして、アメリカの持つ「チャレンジャーを育む社会構造」がすべて有機的に働いていたことを知る事も出来ました。例えば、シアトルで通っていたレイクサイドスクールの父母会がバザーで資金を作り、子供達が遠隔地のコンピューターセンターを自由に使えるよう環境を整えたことや、ハーバード大学のチーザム教授がマイクロプロセッサーのコンパイラを作りたいという彼の希望を聞き入れてコンピューターセンターを自由に使わせたことなどです。アメリカで独創的なアイデアが登場し、新しい産業が誕生する背景には、このような環境要因に加え、新しいことをやってやろうというエネルギーにあふれる若者の存在と、それを異端とはせず、むしろ励ます文化的風土の存在が大きいと思えたものでした。
 わが国のソフトウェア開発で印象に残ったのは、一太郎の開発経過です。一太郎の主要部分を開発したのは、当時アルバイトだった福良伴昭さんだったのです。企業の成長過程ではキーマンとなるべき人材に恵まれるかどうかが分かれ目になるということですが、福良さんはまさしくそのキーマンだったのです。
 この新・電子立国の種々のエピソードも、上の電子立国日本の自叙伝のエピソードも、私にとってはほとんど全く無縁の話ばかりですが、自分も頑張らねばという気を起こさせてくれました。

「プロジェクトX」:NHKプロジェクトX製作班編、NHK出版
 →どうも、自分が苦労していると思い込んでいるせいか、この手の苦労談に惹かれてしまいます。フィクションにはない、本物の感動と言うべきでしょうか。この番組は知人にもファンが多く、本も知人と回し読んでいます。ただし、文献としてみると、記載に不注意な点が散見されるのは残念です。例えば、第13巻の「突風平野 風車よ闘え!」では、発電電力量を「キロワット/アワー」と書いていますが、これでは全く意味が違います。これは発電電力を時間で積分した値なのですから、正しくは、「キロワット・アワー」と書くべきです。新たな番組を造りながら本にまとめているので時間もないのでしょうが、チェックが甘くなっているのが残念です。なお、第1巻から毎巻買っていますが、何冊か初版を買い損ねたのは残念です。

「紙飛行機で知る飛行の原理」:小林昭夫、講談社ブルーバックスB-733(ISBN4-06-132733-X)
 →飛行機の本も好きで沢山読みましたが、お薦めの一冊です。著者の小林さんは、世界紙飛行機大会の距離競技部門で優勝したこともある方です。お仕事は自動車エンジンの開発ですが、実は、航空学科のご出身なのです。この本は、飛行の原理を優しく解説していますが、出色は、一番最後のあたりに描かれている「紙飛行機のテスト飛行をする」です。作ったばかりの紙飛行機は、当然ですが、まともに飛ぶことはありません。素人はそこでくじけてしまいます。この本は、テスト飛行での挙動から、問題箇所を推定し、どこにどのような修正を施せばちゃんと飛ぶようになるかが詳しく書かれています。学者ではない、実戦に強い(最強、と言うべきでしょう)現役の専門家による解説ですから役に立つこと請け合いです。私もおかげで、子供と作った紙飛行機を無事飛ばすことが出来ました。紙飛行機がうまく飛ばず、悔しい思いをされたことのある方にはお薦めの本です。
 なお、もう少し模型飛行機の理論が知りたい、という場合は「模型飛行機と凧の科学」(東  昭著、電波実験社、ISBN4-924518-32-8)がいいと思います。数式を追いかけなくてもいいように書かれていますから。これ以上詳しい理論になりますと、大学の航空力学の教科書になってしまうでしょうね。私には歯が立ちませんが。

●「切りぬく本:よく飛ぶ紙飛行機」:二宮康明、誠文堂新光社(例えば、ISBN4-416-39516-7)
 →大昔(私が小学校から中学校くらいの頃)、「子供の科学」に連載されていた記事が本になっていたものを再編集して1995年に復刻されたものです。全部で5冊のシリーズです。この著者の二宮さんも世界紙飛行機大会で優勝されたことのある方だったはずです。子供が小学校高学年になったときに一緒に作りましたが、とてもよく飛ぶ機体ばかりで大いに楽しめました。飛行状態の改善のための微修正のノウハウも書かれてはいますが、この点は、上記の「・・・飛行の原理」の方が詳しいですから、相互補完的ですね。夏休みの宿題(工作とか自由課題とか)に困っているご家庭にはお薦めの一冊です。なお、最初に買う場合は、飛ばし方の詳しいノウハウが解説されている第5巻がいいと思います。

●「凧と友達になろう」:加藤守男、NHK出版(ホビーテクニックK)(2372-074012-6023)
 →こちらはよく揚がる凧の作り方が豊富に書かれている本です。いろいろな凧が紹介されていますが、あんどん凧(ボックスカイト)は絶対失敗しないで必ずよく揚がる凧です。中学生の頃以来何度も作りました。数百円もあれば、立派なボックスカイトが作れます。ぐんぐん揚がる自作の凧を見るのはとても気持ちのいいものです。子供も大喜びしてくれます。小学校高学年なら自分で作らせることも出来ますよ。これも夏休み(あるいは冬休み)の宿題対策にお薦めの一冊ですが、現在は絶版になってしまっています。図書館にはよく置いてあるようですから、探してみて下さい。

「科学革命の構造」:トーマス・クーン著、中山 茂訳、みすず書房(ISBN4-622-01667-2)
 →「パラダイム」という概念が初めて提示された本です。学問・理論体系の大転換があったとき、それは、従来の「パラダイム」から新たな「パラダイム」への転換と定義されるわけです。よく使われる言葉でありながら、40歳を過ぎるまできちんと調べたことがありませんでした。そこで一念発起して読んでみたのですが、哲学的な内容の上に、頭痛が痛くなるような文章で、読み通すのに正直四苦八苦しました。これを読まなければ研究が出来ないと言うわけではありません。しかし、やはり、理科系で博士号をとろうとする人は一度は読んでおかないといけないのかなぁ、と思います。若いうちはそんな余裕はないかもしれませんが・・・ なお、この本の翻訳に関して、種々議論がなされているようです(例えばこちらこちら)。

「科学革命とは何か」:都城秋穂著、岩波書店
 →地学系の研究職の人は、クーンの本の後に読むべきでしょう。地学と物理学(や数学)の理論・論理体系の違いについて考えるきっかけになります。結論から言うと、地質学には、クーンの定義した厳密な意味でのパラダイムはほとんど存在しない、と言うことになるのだそうですが、地学に関係する「***に関するパラダイムの変遷について」とかいうことを考える際には、必要な基礎知識を与える本だと思います。なお、この本は、地質学の学問としての発達史入門としても読めます。私はどちらかというと後者のような読み方をしましたが。
 →クーンの本を読んだだけではすぐには簡単には理解できない「パラダイムの定義」(これは、クーンの本には整理した形では書かれていない)が、この本に「パラダイムの性質」として整理した形で示されています。それらを引用しますと・・・

  1. 科学者共同体のなかで実際上全員に支持され、しかも信頼感を持ってみられていること
  2. そのパラダイムは信頼されているので、それに合わない新しい観察が現れても、もっと工夫すればその観察もそのパラダイムの中で説明できるようになるだろうと考えられていること
  3. パラダイムに基づく研究をパズル解き的にすること
  4. 一つのパラダイムがほかのパラダイムによって取って代わられるときには、その変化は革命(突然の根本的変化)によって起こること

これらは、「厳密な意味でのパラダイムであるための必要条件」とされています。そして、この四つ全部がそろうことがパラダイムであることの十分条件、と書かれています。クーンの本のおさらいになりました。(2003年01月13日加筆)

●「思い違いの科学史」:科学朝日編、朝日新聞社(0040-25457-0042)
 →科学朝日の1975年1月号から1976年12月号まで連載された同名のシリーズを単行本化したものです。
 科学は、現在の目から見れば「思い違い」から出発していることが非常に多いのです。むしろ、今と同じ理解が最初からあった方が珍しいと言えましょう。だからといって、昔の人を責めることは出来ません。現在の科学的理解・知識で過去の科学者の仕事を批判することは当たりません。たとえ、過去に、現在から見ておかしな話を皆がしている中で、一人だけ現在と同じ理解を示している人がいたとしても、その人が明確な証拠を持たず、ただ何となく憶測でそう考えていたとしたら、その人は、現在から見ても評価するに当たらないと思うのです。古いパラダイムをうち破り、新たなパラダイムに転換させることが出来るのは、明白な証拠の積み重ねだけだからです。
 この本は、昔の科学者達が、どんな風に考え、悩みながら、今日の知識を得てきたかを知ることが出来ます。これは、そのまま、我々に科学的なものの見方、考え方を教えてくれていると思います。上記のクーンの「科学革命の構造」では燃焼理論の変遷(=熱素説の消長)がパラダイム転換の好例として取り上げられていますが、この本の中にもそれが紹介されています。また、「化学の基本7法則」(竹内敬人著、岩波ジュニア新書308)にも、質量保存則の一部としての燃焼理論を含む化学の基本法則の形成と発展が述べられており、本書と同じような「思い違い」の歴史をたどることが出来ます。この両書を読んでおけば、クーンの「科学革命の構造」を読む際にも理解が進みやすいと思います。
 さて、科学朝日のような良質の雑誌が廃刊となってしまう現代です。これは、わが国の理数教育の荒廃を端的に示していると思います。一つはゆとり教育によって、授業時間が削られ、教科書もまるでマニュアルかハンドブックのようになってしまっていることに原因があるのは明らかだと思います。私が生徒だったとしたら、あのような簡素な説明の教科書では、とても理解できるとは思えません。教科書は、一つのことであっても、手を変え品を変え、多方面からの解説が必要だと思います。マニュアルやハンドブックは、一旦それを理解したことのある人でないと使えないのです。この国の将来はいったいどうなるのでしょう。とても心配です。

●「高校生大学生のための就職講座」:読売新聞社文化部編、学陽書房(ISBN4-313-53026-6)
 →読売新聞の教育欄に1983年10月から1985年12月まで連載された同名のコラムを再編集して出来た本です。作家、評論家、大学教授など第一線で活躍されている方々26名の体験に基づくお話が集められています。今読み返しても(今だからこそ、とも言えますが)、深く頷きたくなる助言が多く語られています。私は、入社後5年ほど経って、そろそろ新人から中堅へ移りつつあった頃だったのですが、この中では、早稲田大学教授(当時)の示村悦二郎先生の言葉がグサリと胸を突きました。少し長くなりますが、引用させてもらいます。

 大学を卒業してサラリーマンになれば給料をもらう。あるいは、給料をもらうためにサラリーマンになる人もいるかも知れない。それは、どちらでもよい。それよりも、どうして給料をもらうのかをもう一度考えてみてほしい。
 もちろん、給料にはいろいろの意味があるだろう。しかし、もしそれが、諸君の持っている何かを会社に売り渡す代償だというのならば、大部分の大卒者の初任給は不当に高いと言わなくてはならないだろう。
 それにもかかわらず、何も仕事の出来ない大卒の新入社員に高い給料を払い、世間もその事を容認しているのは何故か。それは、大学を出た事に対する責任への対価だからではなかろうか。
 大学への進学率が三割を超え、大学の大衆化時代といわれているが、見方を変えれば、同年代の青年の七割は働いているのである。他人より四年も長く学ぶことが出来たという事実の重みは、一生忘れる訳にはいかない。諸君は社会全体に対する責任を負っていることを自覚してほしい。
 諸君が、職業人としての人生において、社会に対して、大卒者としての責任を果たすということはどういうことだろう。それは、一人一人が、自分の仕事に誇りを持てるようになる事ではないだろうか。プロになる事と言ってもいいだろう。
 プロへの道はきびしい。そしてプロとしての道は、もっとけわしい。給料のとりすぎだと言われないだけの努力を期待したい。

 これを読んで、確かにそうだと思いました。私は国立大学で4年間学ぶことが出来ましたが、国立大学はそのほとんどが税金で運営されています。私が大学にいた間、私と同年代の若者の7割は働いて税金を納めてくれていたわけです。言葉を換えて言うと、私は、同年代の若者の納める税金のおかげで学ぶことが出来たわけです。そこまで突き詰めて考える必要はないかも知れませんが、少しはこのようなことも思い出すべきであると思います。自分に課せられた社会的責任の一つとして、プロになる事がある、それが、私が大学にいた間、働いて税金を納めてくれていた同年代の若者達へのせめてもの恩返しである、ということを考えるのも一度は必要ではないかと思った次第です。示村先生の「プロへの道はきびしい、そして、プロとして生きる道はもっと険しい」という言葉は至言である、とこの歳になって感じています。

「天才の栄光と挫折」:藤原正彦、新潮選書(ISBN4-10-603511-1)
 →最初はNHK教育テレビの講座のテキスト(NHK教育テレビ「人間講座」テキスト(2001年8〜9月放送)(ISBN4-14-189052-9)だったものに、8番目のヘルマン・ワイルの章が加筆されたものです。講師の藤原先生(お茶の水女子大学教授)は、数学者でありながらエッセイストとしても有名な方です。読売新聞では、人生相談コラムも分担しておられます。その藤原先生が、下記の9人の天才数学者の生涯の足跡をたどり、その人間像について語ったものです(テレビの時は8人だけ)。訥々とした語り口ですが、話に引き込まれ、毎週欠かさず食い入るように見たものです。

  1. アイザック・ニュートン(イギリス):光と色の理論、万有引力、微積分の発見
  2. 関 孝和(日本):演段術、方程式の判別式、導関数、補間法、整数論、魔法陣、曲線、歴など。部分的には当時の西洋数学を凌駕していた。
  3. エヴァリスト・ガロワ(フランス):群の概念を導入した5次以上の方程式における代数的解法の方法論(ガロワの理論)
  4. ウィリアム・ハミルトン(アイルランド):光線系の理論、四元数
  5. ソーニャ・コワレフスカヤ(ロシア):偏微分方程式の解の存在に関するコーシー・コワレフスカヤの定理。女性では世界最初の数学教授
  6. シュリニヴァーサ・ラマヌジャン(インド):素数分布に関するラマヌジャンの予想などの多数の公式群
  7. アラン・チューリング(イギリス):計算可能数、チューリングマシン(普遍的計算機の理論)、ドイツ軍暗号エニグマの解読
  8. ヘルマン・ワイル(ドイツ):リーマン面の位相幾何学的基盤、相対論の微分幾何学の融合、量子力学の数学的基礎他
  9. アンドリュー・ワイルズ(イギリス):フェルマー予想の証明

 これらの天才数学者の業績はよく知られています。しかし、藤原先生は、「いくら輝かしい天才であろうと、生まれ育った風土の影響にあるはず」と考え、自ら現地に足を運び、生身の人間を調べたのです。人間は誰も、栄光や挫折、成功や失敗、得意や失意、優越感や劣等感につきまとわれるものですが、天才こそがこの両極端を痛々しいほどに体験する人たちであり、凡人の数十倍もの振幅の荒波に翻弄され、苦悩し、苦悶していることを示しています。
 ニュートンに関する部分にこのような記述がありました。「大きな業績を上げるものはたいてい「つき」に恵まれるものである」。これは、上記の「新・電子立国」のビル・ゲイツの所でも出てきましたが、後でギリシア神話の英雄伝説に関して述べるように、私としては、「つき」は誰にでも訪れている、しかし、その「つき」に自ら進んで踏み込んでいった人物だけが大きな業績を上げられる、と考えたいと思います。「つき」が目の前を通り過ぎるのを気づかずにいては業績もおぼつかないのでしょう。これは自戒です。
 また、「ニュートンがいなくとも、いつかは誰かが「プリンキピア」の内容を発見したはずである。しかし50年は遅れたであろう。近代文明はもっぱらニュートン力学に依存して発展したから、ニュートンがいなければ、文明の発達は少なくとも50年は遅れたことになる。そうすると世界はいまだ第2次世界大戦直後の状態と言うことになる。科学の影響とはそういうものである。一科学者の力とはそういうものである」ともあります。真に天才と呼ばれる科学者の偉大な力を改めて感じた次第です。
 このような成果を上げる原動力について、藤原先生は、「ニュートンは、神が自ら造った宇宙だから、神の声がその仕組みの中に、美しい調和として在るに違いないという先入観があり、宇宙が数学の言葉で書かれている、という信念を持っていた。そして、神の御業を知ることは神に栄光を加えることであると信じて研究に励んだのである。ニュートンに近い内容の数学を同時代の和算家達は持っていたが、「プリンキピア」だけは、何百年経ってもとうてい我々の発見し得ないものだった。これは、キリスト教の勝利であった」と述べています。宗教的背景の与える決定的な思想と理想の違いを思い知らされた思いがしました。
 また、エニグマの解読を行ってしまったが故のチューリングの不幸な後半生や、一度は完成したと思って発表した証明の重大な欠陥を指摘され、それにうち勝つためのワイルズのつらく孤独な戦いなどは胸に迫るものがありました。「天才」には無縁の私も、しばし、天才の孤独と苦悩に思いを馳せたのでした。
 なお、ワイルズによるフェルマー最終定理の証明に関しては、サイモン・シンによるノンフィクションドキュメンタリー「フェルマーの最終定理」が内容豊富です。ワイルズによる証明の鍵になった谷山・志村予想に関しても非常に丁寧に書かれており、好感が持てます。
→余談ですが、藤原先生のお父さんは作家の新田次郎です。新田次郎は、プロジェクトXの富士山レーダーのお話の時の気象庁の藤原課長その人です。新田次郎の小説もいくつか読みましたが、出身地である富山県の地元と言うことで「剣岳点ノ記」が気に入っていました。
→余談ですが、アランチューリングをモデルにした(?)映画に「エニグマ」があります。若い数学者がエニグマの暗号解読に取り組む中で起きるサスペンスです。マイナーな映画館でしか上映されませんでしたが、面白かったですよ。英軍情報部がドイツの暗号電報を受電するシーンは、お約束のモールス信号が流れました。数字ばかり流れていましたが・・ 貸しビデオ屋さんにあるかどうかは確認していませんが、もし見つけたら是非借りて見てみて下さい。

●「ギリシア神話」:中村善也・中務哲郎、岩波ジュニア新書40(ISBN4-00-500040-1)
 →天才の後は英雄のことを少し。この本はギリシア神話を、時代背景も含めてわかりやすく解説してあります。ギリシア神話はその大半が英雄伝説なのですが、その中で深く印象に残ったのは「アキレウスの選択」です。
 ここには、こう書かれています。「トロイア遠征の企てが持ち上がったとき、アキレウスはまだ少年でした。母親のテティスは彼の未来を予言して、戦場で後世にまで謳われる誉れをあげて若死にするか、故郷で無事平穏な一生を全うするかのどちらかだと告げますが、アキレウスは前者を選びます。このような選択をなす者、このような選択の機会を与えられる者、それが英雄なのかも知れません。しかしまた、「滅びに至る道は広く、そこから入るものは多いが、生命に至る道は狭く、それを見出すものは少ない。狭き門より入れ」という新約聖書マタイ伝の言葉を思い合わせるならば、英雄への道も決して選ばれたる者にしか開かれていないわけではなく、努める者すべてに開かれているとも考えられるのではないでしょうか。」
 全くこの通りだと思います。人生の岐路に立ち、与えられたチャンスに、あえて自ら進んで困難にチャレンジし、不屈の闘志と努力でそれを成し遂げる、それが英雄と呼ばれるゆえんなのでしょう。凡人には到底及びもつかない行為です。だからこそ英雄なのですね。しかし、心意気だけはこれと同じで行きたいものだと思っています。なお、この本は、上記の阿刀田高の「ギリシャ神話を知っていますか」と併せて読むと、お互いがよく理解でき、2倍楽しむことが出来ますよ。
 なお、ギリシア神話に関しては、「星のギリシア神話」という本もあり、星座にまつわるギリシャ神話を詳しく知ることが出来ます。これもお勧めです。
 これらの本にはギリシャ周辺の地名が沢山出てきます。このあたりを旅行される予定の方は読んでおかれると、あぁ、あれがあそこか・・・ となって、旅行を2倍も3倍も楽しむことが出来ますよ。(2006年1月25日一部加筆)

●「ローマは一日にしてならず」:樺山紘一、岩波ジュニア新書91(ISBN4-00-500091-6)
 →岩波ジュニア新書は中高校生用と謳っていますが、私が読んでも十分役立つ(また楽しめる)良書が多くあります。この本は、歴史の中に刻まれてきた名言・格言を集めて解説したものです。ページをめくるごとに、あぁこんな言葉があったなぁ、とか、確かにそうだなぁ、と独り言を言って膝を打つ事が出来ます。一番最後に紹介されている言葉は、上でも少しふれた「狭き門より入れ」であり、その説明として、「広い門を安心して通りたいと思うのが人情というものだ。しかし、狭い門を努力して抜けてゆくとき、本当の道が目の前に開けてくる」と書かれている点は、入学試験や社会の荒波にこれからもまれようとしている若者を鼓舞しようとする意図があるのでしょうか。なお、岩波ジュニア新書の他の名言・格言集には、「シェイクスピア名言集」(小田島雄志著、岩波ジュニア新書104)、「漢語名言集」(奥平 卓・和田 武司著、岩波ジュニア新書157)がありますが、これらも同様に、心のビタミン剤として楽しめます。

●「中島戦闘機設計者の回想」:青木邦弘、光人社(ISBN4-7698-0888-7)
 →子供の頃に好んで戦記物のマンガや解説書を読んだせいでしょうか、子供の頃から飛行機が好きでした。この本は、第2次世界大戦当時の戦闘機の性能の進展の状況を各機の翼面荷重で比較し、なぜ日本は戦争に負けたのか、を技術者の視点から見ています。戦闘機の翼面荷重は、速度を上げるために大馬力のエンジンに積み替え、重武装し、防弾設備を施すほどに機体が重くなっていったことから、年々大きくなっていったのですが、そのような大きな翼面荷重の戦闘機を実用化できた国だけが勝ち残っていったことがわかります。当時の日本は、ごく一部の突出した天才設計技術者の技術力に頼る部分が多く、工業規格の未整備(これは政策当局の定見のなさが一番大きいと思いますが、同じエンジンを作っても陸軍用と海軍用ではネジが違うため相互に転用できないと言うことになると戦う前から勝負はついていたのでしょう)、工作技術や量産技術等の周辺技術・支援技術の未発達等、結局は、総合力がなかったと言うことになりますが、この教訓は、技術者の一人として学ぶところが多いと思いました。
 →これは本題ではないのですが、この本で、国際基督教大学(ICU)本館がその昔何だったのかを知りました。答えは、中島飛行機三鷹研究所の設計本館。知人にICU出身者がいたり、武蔵境のICUの近所の住人がいたりしたのでいい話題になりました。

●「消えた潜水艦イ52」:新延 明・佐藤仁志、NHK出版(ISBN4-14-080307-X)
 →上記の「・・・設計者の回想」と同じですが、なぜ日本が必然的に負けるはずだったかがわかる本です。太平洋戦争も終わりに近い頃、ドイツから高速魚雷艇用のエンジンの設計図をやっとの思いでもらっても(Uボートが運んできたそうです)、それを日本では作ることが出来なかったのです。そのエンジンが必要とする大型で精密な精度のクランクシャフトを鍛造できる工作機械自体が日本にはなかったのです。この工作機械の技術をもらうためにドイツに赴こうとした技術者(当然、民間人です)が乗った潜水艦が大西洋で最後は撃沈される、という話を追いかけたドキュメンタリー番組を本にしたものです。当時は暗号すらすべて米軍に解読し尽くされており、また、まるで現代の地震観測網を見るような稠密で精密な海中音波探知網によって出現と移動を監視されていては、全く生き延びるチャンスのない航海だったようでした。当時の日本の「総合力」のなさが浮かび上がりますが、胸に手を当てて考えてみると、今の我々は当時と比べてどれだけ進歩しているでしょうか?? 今も昔も同じ落とし穴があるような気がしてなりません。
 同じように、技術供与を受けても作ることが出来なかったという例は、機械関係以外にも電気関係にも多くあったようです。「幻のレーダーウルツブルグ」(津田清一著、CQ出版社)には、ドイツの高性能レーダーの技術供与を受けたが(これも潜水艦で運ばれてきた)、結局それに必要な真空管を国産化できず、実用化できなかった例が書かれています。光る技術(最先端技術)というのは海に浮かぶ氷山の一角と同じで、それを支える膨大な縁の下の周辺技術・支援技術があって初めて可能になっているのであって、先端部分だけを供与されても、結局使い物になる技術としては根付くことは出来ないのです。発展途上国の人たちとつきあっていると、このことがよくわかります。

●「幻の高々度戦闘機キ94」長谷川龍雄監修、山崎明夫編著、三樹書房
 →長谷川さんは、当時戦闘機を作ったことのない立川飛行機で、初めての戦闘機、それもB29を迎撃することだけを目的とした高々度戦闘機のキ94の設計主務を勤められた方です。就任当時長谷川さんは弱冠28歳でしたが、これを立派にやり遂げました。長谷川さんは、戦後、トヨタ自動車に勤め、初代クラウン、パブリカやトヨタスポーツ800などの設計に携わり、初代カローラの主査として活躍され、その後技術部門の責任者となられました。
 自動車のボディ設計に空力試験を導入したことや、主査制度を導入されたのも長谷川さんです。主査は全体のバランスを常に配慮しながら各所の設計を見ていく必要があります。航空機の設計で得られた経験に基づくものでしょう。これは、我々の仕事にも当てはまります。常に全体のことを頭に置き、各所のバランスを考えながら部分部分の仕事を進める。書けば簡単そうですがなかなか出来るものではありませんし、あえて言えば、これをやれる人、そのセンスを持っている人は多くはないようです。
 長谷川さんの言葉の中できになるものをいくつかご紹介しましょう。

○新しい仕事:
 新しい仕事に就いた場合には、必ずよい面と悪い面が気になります。努めてよい面に注目し、面白いと思うこと、ないしは面白くするよう自ら努力することです。私は自動車は飛行機に比べて技術レベルが低いため何度か失望したことがありました。しかし、自動車の中で面白いものを一生懸命探し求めました。

○主査に関する十ヶ条:

  1. 主査は常に広い知識、見識を学べ
  2. 主査は自分自身の方策をもて
  3. 主査は大きく、かつ良い調査の網を張れ
  4. 主査は良い結果を得るためには全知全能を傾注せよ
  5. 主査は物事を繰り返すことを面倒がってはならぬ
  6. 主査は自分に対して自信(信念)を持つべし
  7. 主査は物事の責任を他人のせいにしてはならぬ
  8. 主査と主査付き(補佐役)は同一人格であらねばならぬ
  9. 主査は要領よく立ちまわってはならない
  10. 主査に必要な資質    

(1)知識、技術力、経験、(2)判断力、決断力、(3)度量、スケールが大きいこと、(4)感情的でないこと、冷静であること、(5)活力、ねばり、(6)集中力、(7)統率力、(8)表現力、説得力、(9)柔軟性、(10)無欲という欲
 要するに総合能力が必要。それは「人格」

確かに思い当たる点が多い言葉です。(2003年7月21日加筆)


●「敗北を抱きしめて(上、下)」:ジョン・ダワー著、三浦陽一・高杉忠明・田代泰子訳、岩波書店
 →米国人の歴史家が、日本の敗戦後の社会・政治史のうち、特に敗戦直後から連合軍による占領期間中までをまとめた、研究論文とも呼んでよいような内容の本です。軍国主義体制から民主主義への転換、明治憲法から昭和憲法への改正、天皇の役割や立場の変化などがどのような考えにより、どのような過程を経て行われたかが詳述されています。外国人という立場にありがちなステレオタイプな見方ではなく、日本の実体を十分理解した外国人による深いレベルの考察と見ることが出来ました。天皇に関する記述については、最初はちょっと違和感を覚える部分もあったのですが、読み進むうちに、確かにそうとも言えるな、とも思えるようになった点も少なくなく、戦後から現在への過程を考える上で、示唆に富む内容でした。知人が、読むとよいと言って貸してくれたものでしたが、読んでよかったと思っています。

●「我が息子よ、君はどう生きるか」:フィリップ・チェスターフィールド著、竹内 均訳、三笠書房(ISBN4-8379-5444-8)
 →人生訓を述べた本など説教臭くてとても読めませんでした。若い頃の私の話です。30歳をだいぶ過ぎた頃、「ビジネスマンの父より息子への30通の手紙」、「ビジネスマンの父より娘への25通の手紙」(いずれも、キングスレイ・ウォード著、城山三郎訳、新潮社)と、この本を読みました。その年になると、確かにそうだ、と納得できる部分が多くなっており、一気に読めてしまいました。社会経験のなせる業でしょうか。
 しかし、この手の本など説教臭くてとても読めなかったかつての若者から、現在の若者へ、よけいなお節介を承知で助言をするならば、いくら説教臭く感じ、うるさいお節介だと感じたとしても、しかも、読んだとしても、ちっとも役になんか立たなかったと思ったとしても、それでも、一冊くらいは読んでおくべきだ、と言いたい。一冊をあえて挙げるなら、このチェスターフィールドの本でしょう。この本は、なんと18世紀に書かれた本なのですが、英国では紳士養成のためのテキストとして使われ続けているものです。いいものはいいのです。この手の本は当たり前のことしか書いてありません。しかし、その当たり前のことの中から、その意味を再発見出来るようになってほしいと、かつて十分そんなことに思い至らなかった、かつての若者として思うのです。なお、現在は、書名が変わっているようです。

●「TOEICテスト新模試600問」:木村恒夫監修、アルク(ISBN4-87234-974-1)
 →1999年に職場でTOEICを受けることになり、その腕試しのために買ったものです。ご存じのように、TOEIC試験は長丁場で問題数も非常に多いですから、何の準備も無しにいきなり受けてもいい点数はとれません。多岐にわたる問題間の時間配分も大事ですから、一度は事前に模試をやっておく必要があります。職場の人たちと手分けして何種類かの問題集をそろえて見比べましたが、わたしは、この問題集が一番いいように思いました。模試は家で一度やっただけでしたが、要領や時間配分が体得でき、本番でも870点がとれました。おかげで、しばらくは受け直さなくても良さそうです。TOEICをこれから受験しようと言う方にはお薦めの一冊です。しかし、一度も海外で暮らしたことのない身にとっては、ヒアリングには越えがたい壁のような限界があり、大きな壁の存在を感じています(主たる原因は語彙不足)。チャンスがあれば、若い頃に是非、英語圏の国の知的レベルの高い環境で一度は暮らすべきだと思います。

●「二人で少年漫画ばかり描いてきた」:藤子不二雄、毎日新聞社(0095-500385-7094)
 →これは、藤子不二雄の自伝という形式をとった戦後の児童漫画史です。いろいろな漫画家が登場し、漫画家やマンガの内幕などのエピソードが盛りだくさんに出てきます。著者は藤子不二雄となっていますが、大部分は我孫子素雄(藤子A不二雄)が書いています。この方は、母の同級生ですから、私も年代的にはだいぶ若いため、この本の話のうち、前半はほとんど知らない世界なのですが、藤子不二雄が東京出てきてトキワ荘で暮らしていた後半あたりからは、私が読んだマンガが話題に上っていて、とても懐かしく思いました。
 いろいろなエピソードや解説が書かれています。児童マンガを書くために、毎日朝10時に仕事場へ出勤して、帰るのはたいてい終電で、家で次の日のアイデアを考えるので、寝るのは連日3時、4時とか、仕事場へ入ったらトイレ以外は一歩も外へ出ない、切りのいいところまで、とトイレを我慢して描く癖がついたので、膀胱炎になってしまったとか、正月休みを取るために年末に猛烈に頑張って、何とか正月実家に帰ってほっと安心したら5日間も経っており、そこからまた仕事をしようとしても、一旦ゆるんだネジが戻るのには時間がかかりすぎ、結局、1月中に9本描くべきマンガが3本しか描けず、後は全部穴を開けてしまったとか・・・ 尋常のハードさではない状況が目に浮かんできます。同じようなことが、上に挙げた高橋克彦の「小説家」にも書いてありました。人を楽しませる仕事というのは、ハードなものなのですね。なお、これは現在は廃刊のようです。


【まんが】

●「まんが道」:藤子A不二雄
 →藤子不二雄の自叙伝的マンガですが、「立志編」は私の出身高校が舞台です。藤子A氏は私の母の同級生で、私の小学校時代の同級生の叔父さんです。この同級生は、小学校入りたての頃、「すすめロボケット」の肉筆色紙を持っており、うらやましかった覚えがあります。この「まんが道」は、少年キングに連載されていたのをたまたま歯医者さんで見つけ(入社直後の頃)、単行本になるたび毎回買っていましたが、結婚したときに全部処分していました。後年、愛蔵版が出たときに買い直しました。NHKの銀河テレビ小説になったときには、私が学んだ木造校舎もロケに使われていました。余談ですが、NHKの青雲編では、デビューしたての鈴木保奈美さんがラーメン屋の出前持ちで出演していました。確かにかわいかったです。

●「龍神沼」:石森章太郎
 →「石森章太郎マンガ家入門(だったかな??)」に再録されていたのを読みました。なかなか印象的なストーリーの短編です。石森章太郎のまんがは女の子がきれいです(例えば、サイボーグ009の003のように)。石森章太郎の初期の短編には「夜は千の眼を持っている」とか少女雑誌用に描かれたものも多いのですが、ミステリーやSFっぽかったりして結構好きです。

●「サイボーグ009」:石森章太郎
 →子供の頃はマンガ週刊誌を買ってもらえなかったので、毎週見ることは出来ませんでした(これは少年キングに出ていた)。時々友達のを見せてもっらっていましたが、とにかくかっこよかったという印象があります。2001年夏からテレビ東京でリメイク版の放映が始まりましたが、毎週欠かさず見ています。003をきれいに描いてあるのはグッドですね。ところで、石森章太郎は知らない間に石ノ森章太郎に名前を変えましたが、なぜだったのでしょう。

●「ひみつのアッコちゃん」:赤塚不二雄
 →少女マンガと馬鹿にしてはいけません。ほのぼのとしていいマンガでした。こんな感じのマンガは今はないようですね。強いて言えばドラえもんでしょうか。学生時代にアルバイトをしてマンガの単行本を沢山買いましたが、これもその一つです。

●「アタックNo1」:浦野千賀子
 →これも少女マンガですが、からっとした感じのスポ根もので好きでした。中学校の同級生が単行本になったときに毎巻買っており、それを見せてもらっていました。男子のファンも多かった少女マンガでした。

●「鉄腕アトム」:手塚治虫
 →小学校低学年の頃、月刊誌の「少年」に掲載されていました。家から5分ほどの所に市立図書館の分室があり、そこにこの「少年」が置いてありましたので、毎月見に行きました。大学時代に、小学館から単行本が復刻されたとき、アルバイトで稼いだお小遣いで毎号買った覚えがあります(虫プロの倒産により数年間単行本が途絶えていた)。まだ、実家に残骸が残っており、子供達が帰省したときに喜んで読んでいます。また、確か小学校の2年か3年の頃だったと思いますが、日本テレビで最初のアニメ(モノクロ)が始まったとき、第1回を逃さず見るため、テレビの前で楽しみにしながら待っていたことを鮮明に記憶しています。夢多き少年時代だったんでしょうね。

●「鉄人28号」:横山光輝
 →これも鉄腕アトムと同様、月刊誌である「少年」に連載されていましたので、毎月図書館で読んでいました。今から思えば、正太郎の持つリモコンが真空管を使っていたとか(電源はどうしたんだろう?)、古くさいところはありますが、当時はロボットを自在に操るところが格好良くて好きでした。

●「ワンダー3」:手塚治虫
 →ご存じ、宇宙人であるボッコ、プッコ、ノッコが現代社会に登場するお話です。テレビでアニメを見ていましたが、雑誌では断片的にしか見た覚えがありません(どの週刊漫画誌だったかも覚えていないくらいです)。しかし、後年、単行本(講談社の手塚治虫全集)を買って初めて知ったのですが、結末にひとひねりどころではない工夫がありました。作者はおそらくこの結末を最初に考えて書き始めたのでしょうね。数年間にわたる連載だったようですが、すごいものです。逆に言えば、そのような能力がないと、これほど面白いお話は考えられない、と言うことなのですね。その結末は、見てのお楽しみ。

●「紫電改のタカ」:ちばてつや
 →少年マガジンに連載されていた戦闘機ものです。又従兄弟の家に少年マガジンと少年サンデーがあり、毎週のように遊びに行って読ませてもらっていた。飛行機が好きになったのはこんなマンガの影響もあるかも知れませんね。ライバル誌であるサンデーには「加藤隼戦闘隊」(久里一平)が連載されていましたが、こちらの紫電改のタカの方が圧倒的に好きでした。上記の市立図書館の分館には、子供向けの太平洋戦争の戦記があり、それも一生懸命読んで、軍艦や飛行機の名前を覚えたものでした。小学校の頃の話です。
 →余談ですが、富山県というのは公立図書館が著しく充実していました。私は小学校の頃、高岡市のはずれの人口2万人ほどの地区に住んでいましたが、そこにも市立図書館の分館がありました。広い学習室が開放されており、高校の時は、夏休みに友達と誘い合って勉強に行きましたし、大学の教養部時代は、文化系科目の夏休みの宿題はここで資料を調べてやりました。そのくらい蔵書が充実していました。小学校の頃毎日のように本を借りたのもここでした。こんな事の積み重ねが本好きの私を造ってくれたのかと思います。今思えば、このような立派な図書館を整備しておられた関係者の方々の見識と努力に頭が下がる思いです。

●「サブマリン007」:小沢さとる
 →少年サンデーに連載されていた潜水艦ものです。潜水艦というのは独特な雰囲気があります。Uボートとそれを追跡するアメリカの駆逐艦を描いた「眼下の敵」という映画もありましたね。大学時代に、造船業に進んだら潜水艦を造ってみたいと思ったのも、このマンガの影響があったのかも知れません。でも、実現はしませんでしたが。小沢さとるのマンガはメカが詳しくて格好良かった記憶があります。

●「伊賀の影丸」:横山光輝
 →少年サンデーに連載されていた忍者ものです。子供の頃、チャンバラごっこもよくやりましたが、このマンガの影響でしょうか、手裏剣を投げるマネをよくしたものでした。また、刀も背中に背負ったりして・・・ このマンガも格好良くてよく読んでいました。

●「ザ・コックピット:松本零士
 →戦記物のマンガで一番のお気に入りは、結局これでした。雑誌(少年サンデーなど)に掲載されていたときはほとんど見ませんでしたが(高校生の頃はマンガ雑誌は全く買いませんでした)、単行本になってからよく買いました。大学生から就職直後くらいまでの頃です。このマンガは、なんと言ってもメカが丁寧に書かれていることです。ストーリーも結構しっとりした話である点がよかったのかも知れません。


トップページへ戻る